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孟徳流 オフショア投資・海外不動産投資 奮闘記 ~打倒、年金不安・老後地獄~
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バブル経済


 これは、実態経済を無視して不動産/株式といった「 時価の資産価格 」が、投機(短期的な予測に基づいて利益を上げようとする取引)の過熱により高騰していく経済状態のことです。実態経済というのは、国内における個人消費や民間設備投資の統計結果の数字です。実際の経済は大きな伸びを示していないにも関わらず、世間の楽観的な意識のもとで時価資産への投機が繰り返されるのです。それにより、資産価格が上昇し続けてしまう状況です。何が発端となり「 バブル経済 」が進行してしまったのでしょうか?


 ■ ことの発端はプラザ合意にあり?


 1985年にG5( アメリカ/日本/イギリス/フランス/西ドイツ )により発表されたプラザ合意から日本のバブル経済が始まったとも言われています。ここでは米ドルを世界的なドル安へもっていく目的として為替レートを安定化させる合意がおこなわれました。その方法は、みんなでドルを売るということを主体としたものです。なぜなら1980年前後のアメリカでは、国内の高インフレ抑制のために2ケタもの金利を用いた金融引き締め政策がおこなわれていました。そのため、その金利に目をつけた世界中のマネーが米ドルに集中していました。それが世界的なドル高の状況を招いていたのです。


 また米ドルの高騰による円安の進行もアメリカにとっては大きな問題となっていました。なぜなら、この頃の日米貿易はアメリカ側に巨額の貿易赤字を発生させていたからです。そこでプラザ合意では、みんなで米ドルを売り、代わりに日本円を買うということが決定されました。その結果、日米間の貿易摩擦軽減の目的も含めた円高/ドル安の進行がおこなわれることになりました。


 なんと、この発表から1年間の間に急激な勢いで円高が進んでいきました。為替でいえば、1ドル/240円だったレートが、ついには半分の1ドル/120円にまで変化したのです。


 ■ 円高対策として、低金利政策を実施した日本


 1980年代の日本経済においても、国を支えているのは輸出産業です。プラザ合意での決定は輸出産業への大きな打撃となり、そのまま円高不況へとつながっていくのではないかという予測から、政府は危機感を覚えます。そこで日本銀行による公定歩合の引き下げがおこなわれます。公定歩合とは、日本銀行が民間金融機関に資金の貸し出しをおこなう際の基準金利(政策金利)です。当時は、この金利を基にして各金融機関も貸出金利を決定していました。

(※ 現在は、無担保コール翌日物金利が日本の政策金利として適応されています。)


 これにより日本国内の金融機関は低金利状態となりました。つまり、資金を借りやすい状況が生まれたのです。そのおかげで輸出産業の各企業は資金を借り入れ、円高対策に打って出ました。主に東南アジアなど人件費の安い地域に工場を作り、製品を生産するなどの工夫でコストの大幅削減に成功します。結果的に業界は見事に復活しました。


 ついに円高による経済の打撃から日本は立ち直ります。しかし、日本国内ではバブル経済を引き起こす大きな要因が残ってしまいました。それは「 低金利政策 」です。日本の景気回復と同時に本来は終了されるはずの政策が、なおも継続されていたのです。国内は依然として資金を借り入れやすい状況にありました。


 ここに目をつけたのが国内の企業や投資家達です。今、資金を借りておかないと損とばかりに金融機関からお金を借ります。しかし、企業は設備投資などといった必要な部分への資金投資は、既に完了していたのでした。つまり今回の資金は借り入れたまではいいとして、使い道がないお金となってしまいました。こうして世間では「 余剰資金 」が溢れてしまうのです。


 ■ 財テクに流れた余剰資金


 資金を借り入れたからには、何か使い道を探さなければなりません。そこで企業は、この資金を株式/債券/不動産などに投資することにしました。こういった本業以外に余剰資金を投資する行為財産テクノロジー(通称:財テク)と呼んでいます。


 特に日本のバブル経済における有名な話は、不動産価格の高騰です。実は終戦後の高度経済成長期の中、経済の急速な成長と順調な人口増加が基となり、日本の地価は年々上昇していました。そのため世間の勝ち組は、まず資金を借りて土地を手に入れます。次はその土地を担保に再び資金を借り、別の土地を手に入れます。この繰り返しで資産形成をおこなっていた時代でした。それが1980年代の風潮で" 土地は値上がりし続けるもの "という" 土地神話 "を生み出す原因となっていました。


 その神話を信じて疑わないために、日本各地の都市を中心として不動産が購入されました。買われれば買われるほど、その需要増加がさらに不動産価格を上昇させます。すると、それに釣られて一般個人でも、投機目的で不動産を購入しようとする人が続々と出てきます。これが今まで以上に不動産価格を上昇させます。こういった状況により、購入から少し所有して転売すれば、大きく値上がり益を得ることができたのです。もう完全に誰もが、値上がり続けるものだと確信しています。もはや投機熱は過熱していく一方でした。


 この頃は不動産を担保に金融機関から融資を受け、投機目的の不動産を購入します。売却すれば大きな利益が出るので、そのお金は次の投資に使用します。この利益の向かう先は、不動産以外にも株式や美術品などに流れていきました。つまり、不動産以外にも価格の高騰を見せていたものが存在したのです。主にバブル経済の頃は、土地/株/美術品がお金を生み出す3種の神器とまで呼ばれていたほどの人気でした。これらを皆が買うことで、実際の資産価値を完全に無視した形で価格がひたすら上昇を続けたのでした。


 ■ 崩壊へ向かったバブル経済


 それは1990年3月から始まります。当時の大蔵省から金融機関に対して、ある行政指導がおこなわれました。それが総量規制です。これは金融機関による土地関連への融資拡大を抑制するためのものです。これにより事実上、不動産を担保とした借り入れが困難となります。この指導が入った主な理由は、投機マネーの影響による不動産価格の高騰が、マイホーム購入の妨げとなっていたためです。そこで価格高騰を沈静化し、不動産価格を適正価格に戻す狙いがありました。しかし。これは結果的に、予想以上の地価の急激な下落を招くこととなります。


 新たな融資が受けれないので企業や個人は、もう高額な不動産を投機目的で買うことができなくなりました。そのため、不動産価格の急激な下落が起こりました。地価の下落を目の当たりにし、世間の異常な投機熱も冷めてゆきました。バブル経済の不動産への投機は、よくババ抜きに例えられることがあります。結局、売り抜いた人々は、この数年間で大きな利益を得ました。


 一方で、最後まで不動産を所有していた企業や個人が大きな損害をこうむったためです。手元には、価格が大きく下落した不動産巨額の負債が残りました。もちろん、簡単に返済できるような金額ではないものが多いです。このため、今度は融資した側の金融機関にも不良債権問題が発生しました。担保として債務者より取り上げた不動産は価格が暴落しています。とても債務の回収には追いつきません。また債務者に返済義務のあるローンの残債も巨額ゆえに破産してしまう人々が沢山出てしまいました。このため、投機をおこなっていた企業や個人のみならず、金融機関も次々と倒産していく事態が起こったのです。


 ■ 失われた10年を歩む日本経済


 日本銀行(日銀)は低金利政策の終了のタイミングを誤りバブル経済を引き起こしてしまいました。その後の対応で、金融引き締め姿勢として1989年より公定歩合の引き上げをおこなっています。しかし、またもや日銀は誤った行動をおこしました。


 バブル経済の崩壊後、世間では消費熱が完全に冷めた状況に陥りました。モノが売れず、日本経済は悪化の一途を辿り始めました。本来ならば、ここは消費を促す金融政策への切り替えが必要です。しかし、経済が後退し始めた状況にも関わらず、未だ引き締めの姿勢を日銀は続けていたのです。通常ならば、再び金融緩和の姿勢をとり、低金利政策へと切り替えることが重要でした。こういった日銀の完全に後手に回った上のズレた対応が、日本経済の悪化に拍車をかけたといわれています。


 バブル経済の崩壊から日本国内の消費は落ち込み、デフレ不況が続いています。失われた10年とも20年とも言われる、長い低迷期間から未だに脱することができていません。非正規雇用の増加/平均所得の下落/少子化問題/高齢化現象/生産年齢人口の減少などの社会問題は山積みです。このバブル経済は、日本経済の方向を大きく変えてしまった重要な出来事なのです。


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